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Peranakan of Peranakan Chic

プラナカンと呼ばれた華人の歴史



ここでご紹介するプラナカンとはマレー半島のマラッカ、ペナン、シンガポールの3都市で繁栄を極めた中国系グループのことです。
彼らのルーツは不明ですが、マラッカにやってきた古い中国系移民の子孫とされ、現地の文化、そして植民地時代には宗主国であるポルトガル、オランダやイギリスの文化をたくみに取り入れた独自の文化を持つことで知られています。

プラナカンはマレー語で「この地で生まれた子」を意味し、本来は広く外国人の子供たちを指していたそうで、そのため地域によってはさまざまな定義が生まれています。ところが現代シンガポールやマレーシアにおいてプラナカンというと、一部の中国系グループを指すのが一般的です。
彼らは敬称で男性はババBaba、女性はニョニャNyonyaと呼ばれていました。イギリス植民地時代にはイギリスのマラッカ海峡植民地Straits Settlementにちなみ、ストレイツ・チャイニーズStraits Chineseとも呼ばれていました。

その昔、プラナカンの祖先は単身でやってきて現地の女性(マレー人、バタック人、バリ人)を娶ったと伝えられています(しかし、異人種間婚姻は初期の世代のみ。現代のプラナカンたちは血統的には90%以上中国系)。その子孫たちは食べ物、衣装、娯楽などに多くのマレー文化を取り入れ、中国古来の伝統にはない独特の文化を持ちました。しかしその一方で、自分たちの中国系としてのアイデンティティーを守るため、彼らは先祖崇拝を固く守り、現代の中国では廃れてしまった古い習慣、伝統をも守ってきたのです。

イギリス植民地の時代を迎えると、すぐさま英語教育を受け、イギリス式マナーを身につけたプラナカンたちには、たいへんな大富豪になった者も少なくありません。イギリス風の大邸宅に住み、何人もの召使を抱え、当時珍しかったロールスロイスを乗り回し・・・、といったセレブも多く、イギリス上流社交界にも出入りしていたのです。そんな財力のおかげで彼らの文化はこの時代に洗練されていったのです。 

プラナカンの特徴

現地の文化を柔軟に受け入れたプラナカンは、東西折衷のハイカラでエキゾチックな文化で知られています。

男性よりもずっとマレー化が顕著だったニョニャたち。中国系なのに女主人の力が強かったプラナカンの家族構成のためか、女性好みの物質文化が豊かな財力もあって発達します。プラナカンといえばニョニャ文化。有名なものというと、ニョニャ料理にニョニャ陶器、ニョニャのビーズ刺繍、ニョニャ・クバヤを挙げることができるでしょう。

11.jpg15.jpgニョニャ料理
中国料理とマレー料理が融合したと説明されることの多いニョニャ料理は、スパイシーなものが多いことで知られますが、ただ辛いだけではなく奥の深い味わいが特徴です。香しいスパイスやハーブに、惜しみなく使われる大量のエシャロットを長時間炒めることによって生まれる甘み。マレーシアやシンガポールでは「ニョニャ風〜」と言えばよりハイグレードな料理と理解されるほど、その料理技術は高く評価されています。


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ニョニャ陶器
またその料理を彩るのに欠かせない器。それは英語でニョニャウェアと呼ばれる陶器です。これらの陶器はおもに中国の景徳鎮から輸入されたものですが、プラナカン用に特別な色柄で焼かれたニョニャ用限定バージョンだったのです。華やかでフェミニンな柄を好んだニョニャ好みのニョニャウェアはピンクやブルー、エメラルド・グリーンなどのパステルカラーに彩られたもので、結婚式や正月など目出たい席には欠かせないものでした。婚礼ギフトにされたことが多かっためニョニャウェアのモチーフは鳳凰と牡丹が一般的です。



03.jpg05.jpg刺繍
料理以外にも女性のたしなみとしてニョニャたちが身につけさせられたのは刺繍や縫いもの。とくにビーズ刺繍はその精巧さに目を見張るほど。伝統的な中国柄だけでなくバラの花やおとぎ話など西洋的な柄も特徴です。またニョニャたちが好んで着たKebayaクバヤと呼ばれるインドネシア発祥の衣装は、ニョニャたちによってさらに華やかなデザインに進化していきます。女性の体のラインを強調したカッティング、精密で華やかな刺繍があしらわれたニョニャ・クバヤは「着る宝石」と言っても過言ではないでしょう。