
イギリス植民地の時代を迎えると、すぐさま英語教育を受け、イギリス式マナーを身につけたプラナカンたちには、たいへんな大富豪になった者も少なくありません。イギリス風の大邸宅に住み、何人もの召使を抱え、当時珍しかったロールスロイスを乗り回し・・・、といったセレブも多く、イギリス上流社交界にも出入りしていたのです。そんな財力のおかげもあってニョニャ文化はこの時代に一層洗練されていったのです。
もっと詳しく! プラナカンとは誰をさすのか?
いろいろな雑誌記事やサイト記事でプラナカンのことを中国人とマレー人の混血と説明する人が多いようです。ひどいのになると、「移民によって来た華人男性をババ、彼らと結婚したマレー人女性をニョニャ と呼ぶ」など、とんでもない説明もありました。プラナカンたちが異人種間の結婚をしたのは第1、第2世代だけで(しかも結婚ではなく、第2夫人、あるいは妾にしただけ、と説明するババもいます)、その後はプラナカン同士あるいは中国系を婿入りさせるケースがほとんどでした。つまり、血的には90%以上中国人なのです。プラナカンの人々の身分証明書を見せてもらうといいでしょう。彼らのIDには、「Chinese」とはっきり書かれています。
現在のプラナカンの人々がマレーとの混血であると思い込むといろいろな誤解が生じます。もし今もマレー人たちと婚姻関係を結んでいたとしたら、その人たちはプラナカンではありません。なぜなら、マレー人と結婚する=イスラム化する、ことになるからです。現在マレーシアおよびシンガポールに住むマレー人はイスラム教徒です。イスラム教徒と異教徒の結婚は許されません。マレー人と結婚するには、自分もイスラムに改宗する必要があるのです(プラナカンの先祖たちはあえて、イスラム教徒ではないマレー人やバリ人、バタック人などを娶ったそうです)。
プラナカンたちのほかにも、マレー人と結婚した中国系ははるか昔から存在しています。しかし、彼らはプラナカンになったのではなく、イスラム化して「マレーになった」と見なされたそうです。現代も中国系がマレー人と結婚するケースはありますが、彼らをプラナカンとは呼びません。
プラナカンと呼ばれる人々は、たとえばペナン、マラッカ、シンガポールに4代以上先祖を遡ることができ、家族の女性はサロン・クバヤを着ている、ニョニャ料理を食べる、など、ババ・ニョニャの文化と伝統を持っている人々なのです。つまり、プラナカンとは人種ととらえるべきではなく、共通の文化・習慣を持つ一コミュニティーと考えるといいでしょう。

